オーストラリアには、欲しいものがない。ものを追いかけ続ける消費システムの中で生まれ育ったからか、つい買いたいものを探してしまう。欲しいものがないなら探さなくていいのに、脳にそういう回路ができてしまっているのかな。
日本のメーカーは商品開発に明け暮れて、毎シーズン、新商品が出る。至るところに広告を打って、消費者はそれを見ない生活は不可能で、常に新商品を追いかける仕組み。似た商品を複数の会社で開発競争して、わずかな売り上げを奪い合う。開発側は少しでも消費者の心をくすぐるものをと日夜研究する。だから日本の商品は技が細かく、デザインが優れていて消費者の心を掴む。
すでに、商品本体が満足のいくものなのに、さらに、本体じゃないところまで、気遣いが行き届いている。例えば、食品の包装。オーストラリアでは、食品が入ったファスナー付きビニール袋のファスナーは飾り。ちゃんとくっつかないものもあれば、ファスナーが端から端までなかったり、指示通りに点線で切ったのに、ファスナーも一緒に切り落として、役目を果たさなかったり。オージー・クオリティ。日本では考えられない。きっとクレーム殺到。
商品を巻くセロファン、開け口らしきところに点線が書いているけれど、書いているだけで、引っ張るところがないので、結局カッターナイフが必要。日本製だと点線部分を引っ張ることができて、セロファンは、剥がす方向に裂けやすい素材を使っている。
箱詰めされた食品、開けようと思ってもどこの開け口も糊がしっかり付いていて、どうやって開けるのか迷う。中身を取り出す頃には、箱がボロボロ。機械の糊付けの調整ができないのかな。
でも、そんなことはオージーにとって、どうでもいいことなんだよね。ファスナーを切り落としたら、別の方法で口を閉めればいいし、セロファンを剥くのに時間がかかったっていいの。開けた箱がボロボロでもいいの。そんなことはどうだっていい。生きる上で大したことではない。
オーストラリアは、人口が少ない(約2,500万人)から、商品開発競争がないんだと思う。消費者の母数が少ないから、それを取り合うための労力の方が大きくなるよね。そして、消費活動が盛んではない。目新しいものを作ったところで、思うほど売れないから作らない。だから流行が生まれない。なんなら靴も履かない。街は17時に閉まる。開いているのは、アジアンレストランとパブ。動物園もなければ、遊園地もない。でも、それで生きていける。今あるもので、事足りる。
おいしいものがなくても、大丈夫。おしゃれをしなくても、大丈夫。人間の生活が満たされているから。
おいしいものがあることを知っているから食べたくなるし、売っているから買いたくなる。おしゃれな人がいるから真似をしたくなるし、おしゃれなものが売っているから欲しくなる。そんな、消費活動でチマチマ売り上げを伸ばさなくても、この国にはたくさんの資源がある。
この国にあるのは、アボカド、コーヒー、ビール、AFL(Australian Football)と国土。国土にはあふれる資源。だから近隣諸国に擦り寄らずに、自立していられる。国土から採れる鉱物を売るとお金になる。広い畑で野菜や食肉を育てて国内消費を賄える。国内自給率200% 。消費サイクルを生まなくていい理由。
一方の日本は、資源がないし、食料も外国から買わなければいけないので、人々の消費に頼るしかない。日本人は、ハムスターのように、消費社会というホイールの中で走り続ける。それも人口減少で雲行きが怪しいけれど。
そして、この国では、学校も会社も、子どもも大人も競争しなくていい。エリート階層はいるけれど、自分は自分でいい。そして、休日には大自然で遊ぶ、か AFL 観戦、それだけでいい。競争社会で暮らす忙しい国の人々は、このシンプルな暮らしに憧れる。