徒然なるままに、仕事って:note

大きな会社の一部として働いているとき、これが人生なんだと思っていた。その世界しか知らなかったから。周りにそんな人しかいなかったから。みんなが大学を出て、就職をして、朝の満員電車に乗って、ザクザクという足音だけが響く中、意識が遠のきながら出社する。それなりに仕事しながら、もうひとりの自分は、私って何しているんだろう、といつも思っていた。

長期休暇を時々はさんで自分をごまかしながら、転職して生きながらえてきた。生きるためにお金が必要だから働く。寝る暇もなく働いているとき、南の島でその日の食材を確保しながら、波の音と太陽の下で生きるの人たちが羨ましいなと思ってた。

でもある日、彼らをマーケットにして、携帯電話が持ち込まれたら、たちまち普及した。私が住む世界と同じになった。誰でも便利なものに魅力を感じるし、新しい世界への好奇心は止められないよね。

そんな彼らも実は、子どもを文明社会に入れるために、上の学校にやるためのお金の工面が大変で、今やどこで暮らしても資本主義社会が世界を覆っている。のんびり見える南の島も、お金のために働く。

ある授業で、「何のために勉強をするか」という質問に「人の上に立つため」という答えがあった。「立つか立たれるか」、今の世の中を表している。それを聞いたとき階級社会が頭に浮かんだ。かつてのイギリスでは、民衆(労働者階級)を思い通りに動かすために文字を教えなかった。そしてイギリスの産業革命(18世紀)から始まった資本主義の世の中、今では世界が「持つ者と持たざる者」に二分している。持つ者 、世界人口の1 %、持たざる者 99 % 。

余談だけどイギリスで識字率の低かった16、17世紀頃、日本は江戸時代、識字率がすでに 70 %だったと言われている。東西の思想の違いなのかな。あと、日本の開国後、欧米勢がやって来たときに日本人を見て、なんて働かない人々だと呆れていたそう。欧米では産業革命で、人々が機械のように働いていたようだから。日本人にもそんなときがあったんだね。

文明の中で生きるためには、文字理解が必要で、今やコンピューターの中に世界は移行していて、プログラミング言語を知らない私は、支配される側ってこと。これまでと変わらないか。まぁ、そこで機嫌よく暮らせればいい。

今、思うことは「生まれたのが日本でよかった」。日本という国がダメだという見方もあるけれど、人生の折り返し地点に立って、私は、またしばらく日本で、自分を俯瞰しながら生きていこうと思う。それだけでいい。おもしろそう。

最近、バイリンガールちかさんの Youtube を見つけて、久しぶりに見てみると、パンデミック以来の Seattle 帰省だった。チーズケーキ・ファクトリーで Cloe が登場していて、私まで懐かしい気分になった。パンデミック以来の彼女の動画視聴かも。その1 本前も気になって見てみた。動画の後半、パンデミック以前の世界を振り返った言葉が印象的だった。

「パンデミック前の今ではなんか懐かしい時代」「とても自由で、世界を巡っていました」「様々な冒険に出て、思いっきり生きてた」「こんなにも状況が変わるとは、誰も知らず」「見覚えのない世界」「荷物をまとめて、その時の人生を離れました」「これが…色々と落ち着いたら、また遊びに来ます」「この状況がこんなに長く続くとは」。

そう、こんなに長い間みんなを不安にさせたパンデミック。オーストラリアに到着した当初、私は楽しい人生の1 ページを綴ろうくらいに思っていた。

でも状況は一変、表面上は楽観的な私の性格、それを剥ぎ取って、深く自分自身に向き合わざるを得なかった。自己対峙。日本にいて仕事をしながらだと、それに気が紛れて、こんな経験はできなかったと思う。何もどうにもごまかせない状況だった。人々の価値観、世の中の状況ががらりと変わった。

今は、日本で自分の知識や経験を使って誰かのために仕事をしようと思う。

精神科医の益田裕介さんの「人のために何かをすることは、心が満たされる。」という言葉にはっとした。彼は、精神科を開業されていて、彼が自分の気持ちを表現したり、自己開示したりする言葉に惹かれて、よく聴き入ってしまう。

そこでは、精神科医は仕事として本当に大変だけど、ただお金を得るためのものではなく、「患者さんやスタッフから頼られていて、責任感が芽生える。」「居場所があって、安全だということ。」「愛されていて、やりがいがある。」と話されていた。それは、彼がかつて自衛官として所属していた、大きな組織の一部だった時には味わえなかった感覚だとも。

私は、誰かの言葉を借りて自分を理解する。思っていることを言葉にすることは、ただ、ふんわり思いを巡らして、消えてなくなるよりも、自分をよく理解できたり、客観視できたりする。そんなとき、益田祐介さんの言葉が助けになる。

私にとって、大企業に勤めることは、誰かに聞かれたときに何も言わせないためのものだった。やっていることは、なんのスキルにもならない、ノウハウが溜まるわけでもない、将来につながらない、歯車の一部で、機械化(AI やソフトウェア開発)が進めば機械でできる。

一方、教育関係の仕事。どんなブラック企業よりブラックな仕事だけれど、これに就くことで「誰かに頼られて、責任感が芽生える。」「人のために何かをすることで、心が満たされる。」そんな仕事に就こうと思う。また、いつか飽きる時がくるまで。それより前に AI に職を奪われるのかな。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です