先日、久しぶりに文献なるものを目にしたら、軽く拒絶反応というのかフラッシュバックを起こした自分がいた。博論の「研究計画書」に挑戦して以降、文字がぎっしり並んだ文面を見たくなかった。あれから半年以上経つんだ。
バーンアウトで、目の前のこと全てやりたくなかったのだけど、嫌だ嫌だと思いながらやっていた飲食の仕事もやらないよりは良かったかな。何も考えないで身体を動かして、少しはリフレッシュになったのかな。いや、何も考えないからこそ、失敗を思い起こして苦しい時もあったけど。
少しずつ癒えてきた最近、自分のアップグレードを企んでいる。人間とは忘却の生き物だなと、つくづく思う。オーストラリア生活、残すところ半年なので、そろそろ日本に視野を向けて、どんな視点を持って、どこを拠点にするかなど具体的なことを検討をつけていこうと思う。
Youtube のおすすめにあった Kidsna チャンネルで成田悠輔さんが話す「日本の教育」が興味深かった。このチャンネルで話されることは字幕がつくので、私が書くことはないけれど、自分の思考のメモのために。
「子どもの教育投資」について。一部のエリートの人たちが良い教育を受けることが、すごく高くなっているアメリカ合衆国を念頭において、日本は教育投資が少ないと言っている気がする。ヨーロッパでは超エリート学校も安かったりするので、日本の国公立大学はそんなに異常値ではないんじゃないか。と話していた。
教育投資が大学の学費を指すならそうなのかも。日本では、みんながみんな学費の低い国公立に行けないから、その前の教育に費用がかかるんだと思う。そして、大学に行くにも自分で学費のローンを組む人が増えて、社会問題になっている。仮に学費の安いヨーロッパ、と言っても、イギリスでは外国人は外国人価格で、税金を納めているイギリス人、もしくはEU圏の人だけが安い学費の対象だった。他のヨーロッパの国はどうなんだろう。
「日本の教育」について。お金がある人たちが子どもをどんどん海外に避難させるようになっているのは、日本の教育がダメというのが原因ではなく、日本という国とか社会に問題があって、日本社会全体の問題と捉えた方が自然なのかな、と。
世界中どこに行っても働けたり、稼げたり闘えたりする人材になろうとするか、別にそれはどうでもいいと考えるか。前者ならできるだけ早く外に出たほうがいいと思うが、別にそれはどうでもいいという考え方もあるんじゃないかと。
「日本が衰えると言われていて、それでも世界で3 番目に大きい経済を保っていて、向こう数十年トップファイブぐらいの国ではあり続ける。」人口がどんどん減っていて、減り続けても5,000万人を切るというようなことは多分ないと思う。フランス、イタリアぐらいが最も日本が縮小した場合の行き着く先だと思う。
そう考えると別にどこまでいっても、そこそこ大きな、そこそこたくさん人がいる中心国ぐらいの位置づけを保ち続けるんだと思う。日本語じゃないと仕事しにくいというのも変わらないんじゃないか、これが 20 年とかで激変するとは到底考えられない。そう考えると恵まれている場所で、とてつもなくグローバルに戦えるビジネスを作り出すわけじゃないけれど、細々とやっていくというスタイルも現実的な生き方としてありだと思う。
その生き方をする上では、下手に海外とかに行かない方がいいという考え方もある。日本人はなんだかんだで、恵まれている。こんなに大きな経済を日本人で日本語が喋れる人だけで牛耳っていて、たまたま日本に生まれ育ったというだけで、世界全体から見ると、ある意味の既得権益を持っている。それを生かしていくという生き方もあり。
これにはジレンマがあって、世界中どこでも生きていけるためには、できるだけ早く日本を出たほうがいい。ただ、日本を早めに出てしまえば、日本社会で生きていきやすくなるかと言われるとクエスチョンマーク。どっちつかずみたいな人も結構いる。アメリカの大学を卒業しても、働くとなるとビザの関係で日本に戻らざるを得ない場合も多い。一見グローバルな学歴を持っている彼らが、日本社会で活躍しているかというと、そうじゃない場合がほとんど。
そういう意味で言うと、もう日本に帰ってこないという心づもりで、徹底的に外に出るか、沈みゆくがまだまだ大きな船で、しっかりコミュニティーの中に入っていくかという考えでもいいのかな、何事もしっかりやり切った方かいいのかなという気がする、と。
この動画を見て、教育というよりは、自分自身を考えた。今朝のニュースで ” Chinese economy turns Japanese overnight.”(ちゅうごく経済が一夜にして日本に変わる。)という見出しを見て、正直ショックだった。注目を引くための見出しだとしても、日本は、堕ちた経済の代名詞になっている。日本は、ダメだダメだといろんなところで言われているけれど、こんな冷静な意見を聞いて、日本への警戒心がなくなりつつある。
あと、日本にいたら、私にとっての外国はアメリカ合衆国だったけれど、オーストラリアにいると合衆国は、ほとんど意識に上らない。のんびりしたオーストラリアで過ごして、「自分が自分でいる」ことが大切ってこと知ったのかもしれない。「足るを知る」国だからね。