ロシア生まれ、日本育ちの小原ブラスさんが興味深いことを話していた。「日本はなぜ〇〇なの?」と聞かれたときに、愛想笑いで済ませないで「自分たちの歴史や考えを説明できるように」したほうがいい、と。
例えば「年功序列」については、「家」制度を維持するために「安心」を得るための制度。日本では男が外に出て働き、女は家にいて家庭をつくる風習があり、能力のある無しにかかわらず、ひとつの会社に所属して、年齢が上がるごとに給与も上がることで、家庭を守るという文化、と小原ブラスさん曰く。
マイノリティーを犠牲にしつつも「家」という制度をうまく維持するために「年功序列」を採用することで「安心」を大事にしていた。という彼の説明を聞いて、なるほどと感心する自分がいた。自国のことを話すためには、歴史や文化を知ることが必要だし、他国の歴史や文化との違いを知ることが必要。
上記は、「年功序列」についての説明で、ブラスさんが「マイノリティーを犠牲にしつつも」というように、ここには他にも問題が混在している。そのひとつ、ジェンダーギャップ(性別格差、男尊女卑)の解消は、世界の中でかなりの遅れを取っている。かつてはどこの国にもあったようだけど、未だ根強く残る日本。
さて、話をもとに戻して。ずっと受け身で授業を受けてきて、その内容を生活の疑問と結びつけることも、自分の考えを持つこともなかったように思う。高校では、授業の内容を覚えて、テストで吐き出すという感じだったな。だから、ブラスさんの言うように「自分たちの歴史を説明する」ことができなくて、愛想笑いするしかないんだと思う。他人に説明するほど、自分のことをわかっていない。
自分のことを知るためには、他者を知って、その違いを比べたときに、初めて自分が見える。そして、自分のことや考えが話せるようになるんだと思う。その過程を経ることは、日本の教育の中にないよね。
人間は、生まれた場所のシステムの中に放り込まれて、多くの日本人は、日本社会で生きるために「従順で個性の無い人間」として育てられる。周りの人と違ったらおかしな人で、「違い」はネガティブなもので、「違い」を認めるという文化は無い。おかしいのは、「みんなと違う人」で、社会の何がおかしいのかを考えたり、改善したりする発想が無い。おかしな社会に人が合わせていく。それで、古い制度がいつまでも変わらない。
だからと言って、制度や習慣を責めても仕方がない。会話の中で自分の考えや意見を言いたいなら、自分を知り、他者を知ることが必要。そして「なかなか変われない日本」という特性を認めることも大切。日本でも、国際関係学のような学問がメジャーになって、その視点を持てば、自分のことや自国のことを話せるようになる、はず。