モノもヒトも大量生産
約250年前、英国の産業革命で普及した、教育の目的は製品の大量生産でした。それまでの人々は家内工業で生計を立て、字が読める人もわずかだったようです。立派な働き手だった子供たちを一ヶ所に集めて、教育が始まりました。大勢の人が、ひとつの指示で一斉に動けると、効率がよいですよね。
そんな資本主義の社会を生きるための教育が、当時のスタイル(一斉授業)のまま、いまだに行われているのが、日本。多くのことが機械化された現代において、先進国では日本だけと言われています。国費の教育費の割合が最も低いのも日本です。国民が国を支えるという考えはないようです。権力者のしがらみで、国民のことは後まわし。
集団行動が基調の教育は、日本人の性質にピタリと当てはまったのでしょうね、きっと。時代が変わっても、異論もなく続けられているのは。真面目で勤勉だと言われる日本人は、ルールを見せられたら忠実に守ります。行き過ぎて、集団の中で守っていない人を見つけて、罰する人も出てくるほどに。
たとえ、一斉授業というスタイルは古くても、知識は提供されているのです。
生きる力は経験から
現在の学校教育では、生きる力を育むことを目標としているようです。きっと、生きる力は国によって様々。超学歴社会を生き抜く力、自分に関係ないことは無視する力、日本だと、空気を読む力でしょうか。共感力、共動力というのも見かけたことがあります。具体的には何を指すのでしょう。
ある、アフリカ大陸出身の知り合いの話。彼は、幼少の頃、貧困から抜け出すために母と密航船に乗り込むはずが母とはぐれて、たどり着いたのがスペイン領の島、記憶ではカナリア諸島のどれかだったような。難民キャンプで暮らし、国際NGOの学校で教育を受け、その後、サッカー選手としてフランスのチームに所属していたそう。そして日本に渡って、現在、インターナショナルスクールでサッカーのコーチをしています。
本人のみ知る話なので、盛っているところもあるかもしれませんが、母のいなくなった子供が、周りの様子を見ながら生きることを想像して、これが生きる力だと思いました。でも、それが日本の子供に必要かというと、必要なさそうです。日本は、先進国と呼ばれるには使途不明金が多すぎるけれど、今のところ、国から逃げ出すほどでもなく。環境によって、必要とされる生きる力は、異なるのでしょう。
知識は使ってこそ
彼の生きる力は、彼の知恵ではないかと思います。多くの子供は、そばで見守る保護者が先回りしてなんでもやるので、経験で自分の知識を使う場面が少ないです。一方、彼の場合は、教育で知識を得ると同時に、経験の中でそれを生かして、知恵を養ったのだと思います。
じっと座っているのが退屈、という授業もあるかもしれませんが、方法はさて置き、知識を一応は得ています。あとは自分で使うのです。そのために、外に出て経験をしてみてください。それはきっと、生きるための知恵や自信につながります。